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和歌山地方裁判所 昭和31年(ワ)57号 判決

原告 小田兵七 外六名

被告 明光バス株式会社 外一名

主文

一、被告等は各自、原告小田兵七に対し金十三万円、その余の原告六名に対し各金四万六千六百六十六円、及び右各金員に対する昭和三一年六月一七日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告等のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は五分し、その一を被告両名、その余を原告七名の連帯負担とする。

四、この判決は第一項に限り、原告小田兵七において金四万円、その余の各原告において金一万五千円宛の担保を供するときは、仮りに執行することができる。

事実

第一、双方の申立

原告等は、

被告等は連帯して原告兵七に対し金六十六万六千五百八十三円、

原告和男、時男、佳慧、浩、幸代、月美に対し各々金二十三万八千八百六十一円、及び右各金員に対するいずれも本訴状送達の翌日より完済まで年五分の割合による金員を支払うべし、

訴訟費用は被告等の負担とする、

との判決並に仮執行の宣言を求め、

被告等は、

原告等の請求を棄却する、

訴訟費用は原告等の負担とする、

との判決を求めた。

第二、請求の原因

一、被告明光バス株式会社は一般乗合バスによる旅客の運送を業とし、被告松居恵智子は、同会社に雇われバスの車掌をしていたものであり、原告兵七は、小田こゆきの夫、原告和男、時男、佳慧、浩、幸代、月美はいずれも小田こゆきの子である。

二、昭和三〇年一〇月二三日午前一〇時頃、小田こゆき(当時満四六才)は、被告恵智子の乗車勤務する被告会社のバスに白浜口駅前から乗り、白浜町に向う途中、被告恵智子は同町綱不知よりバスの扉を閉めることを怠り開放し居たるため、御幸通今津ダンスホール下停留所(旭丘停留所)手前約四三米にさしかゝつた際、こゆきは停車と同時に右停留所で降りるべく入口近くにゆかんとしたところ、被告恵智子から「まだ停留所ではありませんよ、早いですよ」と注意されたが、こゆきは無論進行中飛降りるつもりもなくただ入口上の床の上に立つて停車を待つていたところバスがにわかに動揺したため車外に転落し、舗道に頭を打ちつけよつて約三〇分後に死亡した。

三、右こゆきの死亡は、バスの扉を開放したまゝにしておいた被告恵智子の過失に基くものである。従つて被告恵智子は右過失に基き原告等に負わしめた損害を賠償する責任あり、又被告明光バス株式会社は、使用者として民法第七一五条により原告等に対しその損害を賠償する責任がある。

四、而して、原告等は右こゆきの死亡により左の通りの損害を蒙つたものである。

小田こゆきは百姓であるが、田約四反、畑約二反を耕作し、一年間に米二五俵(約十万円相当)麦一五俵(三万円相当)甘藷約二百貫(五千円相当)蜿豆約八十貫(一万二千円相当)里芋約八十貫(五千円相当)馬令藷約五十貫(千五百円相当)大豆約二斗(千五百円相当)小豆約一斗(二千円相当)その他(菜、ゴボウ、人参、ネギ、ホーレン草等約八千円相当)醤油一石(一万円相当)味噌十貫(五千円相当)牛一頭(二万円相当)の収入を得るものであるが、その内よりこゆきの一年間の生活費五万五千円(米一石二斗壱万二千円、副食物三万六千円、衣料六千円、医療費一千円)と、農業の雇人料(年間二人延日数約三五日)一万円、肥料一万二千円、牛の飼料三千円、とを差引き残金十三万円の純収入がある。而して、満四六才の女は余命二五年七月であることは統計の示すところであつて、こゆきは至極健康であつたから六〇才までは収入の低下なく、六一才より七〇才までは三割収入低下、七一才以上は五割収入低下とみて、こゆきの今後得べかりし収入は合計二百八十三万二千九百十六円である。これが即ち被告恵智子の前記過失に基きこゆきの蒙つた損害である、これを年五分の利率でホフマン式計算法により今一時に受取るとすれば百六十九万九千七百五十円となるところ、その三分の一即ち五十六万六千五百八十三円は夫たる原告兵七の相続分、残り三分の二を六分した一つ、即ち十八万八千八百六十一円は子たる原告和男、時男、佳慧、浩、幸代、月美の各相続分である。

而して原告兵七は五三才で資産約三百万円を有し現に山林王三本六右衛門の山管理人をして月収一万五千円を得、原告和男は二九才で大阪経済専門学校を卒業したが目下病気療養中、原告時男は二二才で熊野高等学校林業科卒業後神戸市中川木材株式会社に勤務して月収一万円を得ていたが母の死亡以来家に帰り現在家事の手伝をし、原告佳慧は一八才で熊野高等学校普通科を卒業して目下家に在つて家政を執り、原告幸代は二七才で田辺家政女学校卒業後小学校教員に嫁し自己の資産として価格約二十万円の動産を有し夫の月収一万四千円あり、原告月美は二五才で熊野高等学校普通科卒業後会社員の許に嫁し資産(動産)約二十万円あり夫が月収一万五千円を得ている。そして被告松居は未婚の少年で収入月六、七千円、資産は殆んどないが、被告会社は資本金三千万円で年々莫大な収益をあげている。よつて原告等の蒙つた精神的苦痛の慰藉料として原告兵七は十万円、原告和男、時男、佳慧、浩、幸代、月美は各五万円の請求権があるから前記相続分と合して被告等は連帯して原告兵七に対し金六十六万六千五百八十三円、原告和男、佳慧、浩、幸代、月美に対しては、各二十三万八千八百六十一円及びこれらに対し、本訴状送達の翌日より完済まで年五分の割合による各遅延損害金の支払を求める。

五、被告側の主張に対する再答弁

(1)  被告松居の過失について

警察では明らかに被告松居の過失を認めている。尤も家庭裁判所で審判の結果被告松居を不処分にしたことは真実であるがこれは被告松居の過失を認めなかつたからではなく係裁判官においては少年特有の犯罪でないから所謂家庭裁判所に馴染まない事件であるのと、少年松居は現職を止めて家庭に帰ると云うので将来の結婚のこと等を考えて不処分にしたとのことである。その他被告松居に過失がないとの被告等の主張は全部これを争う。なお又被害者こゆきが自動車進行中自ら飛び降りたとの主張事実はこれを否認する。

本件事故発生の当時バスの進行速度は時速十粁に落されていたとのことであるが、時速十粁の速度は相当速いもので被害者の如き進行中飛び降りに不慣れな田舎者の中年婦人で下駄を履き風呂敷包を抱えて右の速度で進行中のバスから外へ降り得るものではない。若し車掌が車外の交通状況障碍物の有無等を知らんとして車内よりこれを十分見る事が出来ない時は扉を開けて外部を見て確実に外部状況を知るようにすべきである。然し右の如き必要で扉を開ける場合乗客が扉の開いた処から車外へ転落しないように車掌自ら下のステツプに立つて乗降口を塞ぐようにして外部を見るか或いは車掌の頭部のみ扉の隙間から出るように細く扉を開けて外部を見るようにして乗客の車外転落を防止すべきものである。凡そ自動車により客を運搬する者は全般的に乗客の身命を安全に運搬しなければならぬ義務を負い、そのため広く且つ重い業務上の注意義務が課せられてある。これに反し乗客は内外の様子危険の状況程度に付比較的不明であるから運搬者が目前で特に制止しないことは一応危険がないものと思い行動して然るべきである。即ち本件に於て車掌が旭丘停留所に近ずいたことを乗客に告げ降車の準備を命じたので、こゆきは座席を立つて車掌の側に行き切符を渡し降口近くの二段目階段に立つて居たもので、車掌はこれを制止しなかつたのであるから、たとえドアーが開いて居たとしても外部の状況車の速度危険の程度等に付不明なこゆきに特に過失あつたものと云うべきでない、仮りにあつたとしても車掌の過失に比し九牛の一毛に過ぎぬ。

(2)  示談解決済であるとの主張についてはこれを否認する。

訴外小山米次郎には原告等の親戚某が被告会社と会見してその申出条件を聞いてくれ、その上で原告側の諾否を決定するからと依頼し、同訴外人被告会社と折衝の結果一旦預つて原告等の意向を聞いてくるということで金七万円を受取つたものであつて原告等がこれを承諾しなかつたため、小山は右七万円を被告会社に返戻したものである。従つて本件は右七万円の授受により解決したものではない。

(3)  被告会社の被告松居恵智子に対する選任監督につき無過失であつたとの主張について。

被告松居恵智子は被告会社に雇われる前は単に観光バスの案内人として修習訓練を受けたにすぎず、車掌としては全然訓練されていなかつた。又、被告会社に雇われて後も特に車掌としての修習訓練はなく、たゞ同僚先輩のやり方をみて車掌の仕事をしていたものにすぎない。従つて、被告会社は被告松居を雇入れて車掌としての仕事をさせるにつき、選任監督の義務を尽しておらないものであつて、被告会社は本件損害賠償の責任を免れない。

第三、被告等の答弁

一、原告等の請求原因主張事実中、

(1)  第一項の事実は認める。

(2)  第二項中、原告主張日時に被告松居恵智子が被告会社の「トレラーバス」に勤務乗車していたこと、小田こゆきの死亡したことは認めるが、その余は全部否認する。

(3)  第三項は否認する。

(4)  第四項中、慰藉料についての主張は否認する。その余は不知。

二、被告松居恵智子が、白浜町綱不知のバス停留所からバスの扉を開放していたこともなく、又、小田こゆきがバスの動揺のため車外に転落したものでもない。

被害者小田こゆきの転落箇所附近はアスフアルト道路であつて然も右転落箇所は旭丘停留所の一〇米程手前であるので、バスは右停留所に停車すべく道路の左側へ寄りつゝ徐行し運転手は制動機をかけて、まさに停車寸前の態勢にあつたのである。従つて車が動揺するが如きことはあり得ない。

自動車運送事業等運輸規則に依れば

同規則第二十九条(旅客の禁止行為)

七、第二十七条第一項第一号の規定による制止又は指示に反すること。

八、走行中の自動車に飛び乗り又はこれから飛び降りること。

同規則第二十七条(車掌の遵守事項)

一、運送の安全を確保し及び事業用自動車内の秩序を維持する為旅客が事業用自動車内に於て法令規定又は公の秩序若しくは善良の風俗に反するときはこれを制止し又は必要な事項を指示すること。

三、停車前に旅客の乗降のために乗降口の扉又はこれに準ずる装置をあけないこと。

とあり、依て被告松居は勿調右規則を遵守して「バス」の乗降口扉を閉し走行中であつた。

このバスは六〇人乗りの大型バスであるが、当日は車内に立つている人が一〇人位で、被害者は進行方向に向つて右側中央より稍後部の座席に座つていた。被告松居はバスが旭丘停留所に近ずくやこの旨マイクロフオンで告知し、終つてマイクを釘にかけんとしつゝあるとき、被害者が突如同被告の右後方より出てきて、瞬時も早く降り度いという気配を示したので、同被告は右手をもつて被害者の肩の辺を制しながら「止るまで待つて下さい」とこれを制止した。そして車が該停留所約一五米位手前にさしかゝり左へ寄りつゝ停車のため徐行を開始するや、同被告は乗務車掌の職務上の義務として乗降口扉を開いて左後方に自転車通行人等の進行し来らざるや否やを確めようとした。このとき被害者は被告松居の制止を無視して、扉の開かれたのを幸い停車のための車の動き、その進行方向を考慮することなく同被告の右袖下を抜けて降車したものである。即ち被害者としては飛び降りる気持ではなく車が徐行しているから降車容易なりとして普通に降りたのであるが、前記の如く車の進行方向や動きを考慮することなく降りたものでありその上日和下駄をはいていたので所謂逆モーシヨンとなつて転倒したのである。被告松居としては降車口へ近寄つてきた被害者に対し「止るまで待つて下さい」と注意して制止した後であり、車の左後方の進行者を注意するため車外後方を注視していたときでもあるから、子供でもない被害者がまさか自分の注意制止を無視しようとは思つていなかつたのである。即ち被告としては万全の措置を執つたものである。従つて被告松居は其の後警察其の他家庭裁判所等の取り調べに対し何等其の過失責任を問われることなく終つた。然るに被害者は当日は病気入院中の長男見舞の途上でありバスが右長男の入院している病院前に通ずる道路より少し前方に停車するので瞬時も早く病院えと云う気の焦りがバスの徐行と共に降車可能と速断して本件を惹起したのである。右の次第であるから被告松居には何等の過失もない。

三、本件は被告側の過失の有無にかかわらず、昭和三〇年一一月一八日原告側との間において被告会社が金七万円の慰藉料等を支払うことによつて、解決済である。

即ち、昭和三〇年一一月初頃訴外小山米次郎が原告側の代理として、被告会社へ来り、その後数次にわたり被告会社と折衝の結果、被告会社も被告側の過失の有無は別にして、被害者の災難に弔意を表する意味において原告等に対し金七万円の慰藉料を手交することとし、原告側もまた右小山を代理人としてこれを了承し、被告等の過失の有無にかゝわらず、被告等に対する一切の請求権を放棄した。よつて昭和三〇年一一月一八日被告会社は右小山に対し金七万円を手交し小山はこれを受領した。しかるに同三一年一月二八日右小山は一旦受取つた右金員を被告会社に返戻してきたので、被告会社は目下これを保管している。

四、右訴外人に示談金の金額の決定権がないとしても、同訴外人は被害者小田こゆきの実兄からついで原告小田兵七の実弟から本件について被告会社との折衝を依頼され、原告等の代理人として被告会社と交渉したものである。そして、被告会社代表者小竹林二は、右訴外人は金額の決定権がないことは知らず原告等の代理人として全権を有するものと信じ、前後五回にわたる交渉の結果、前記の如く金七万円を同訴外人に手交して示談成立したものである。右の通り同訴外人が原告等の代理人として、被告会社との間になした代理行為は権限踰越の行為であるが(表見代理、民法第一一〇条)被告会社には、右訴外人がその権限ありと信ずべき正当な理由があつたものであるから、原告等は右訴外人の代理行為につきその責に任せなければならないものであつて、本訴請求は失当である。

五、なお被告会社は使用者として被告松居の選任監督につき過失はなかつたものであるから、小田こゆきの死亡が被告松居の過失に基くとするも、被告会社には損害賠償の責任はない。

第四、証拠関係

原告等は、甲第一乃至第八号証を提出し、証人福本栄三郎、山本彦実、前川正一、西末春、梅畑義光、小山米次郎、丸山貞子並に原告本人小田兵七、小田和男の各尋問を求め、検証並に鑑定の結果を援用し、乙号各証全部の成立を認めた。

被告等は、乙第一乃至第五号証を提出し、証人竹中幸次、田村和子、小山米次郎、井田旭並に被告会社代表者本人小竹林二、被告本人松居恵智子の各尋問を求め甲号各証全部の成立を認めた。

理由

一、被告明光バス株式会社は一般乗合バスによる旅客の運送を業とし、被告松居恵智子は同会社に雇われ、バスの車掌をしていたものであり、原告小田兵七は小田こゆきの夫、原告小田和男、時男、佳慧、浩、幸代、月美はいづれも小田こゆきの子であること、昭和三〇年一〇月二三日午前一〇時頃、小田こゆき(当時満四六才)は、被告松居恵智子の乗車勤務する被告会社のバスに乗車し白浜町に向う途中、今津ダンスホール下停留所(旭丘停留所)手前道路上で、事故により死亡したことは当事者間に争がない。

二、被告松居恵智子の過失について

成立に争のない甲第四号証に証人山本彦実、同竹中幸次、同田村和子の各証言及び被告本人松居恵智子の供述並びに検証の結果を綜合すると昭和三〇年一〇月二三日午前一〇時頃被告松居が前部車掌として勤務し竹中幸次の運転する被告会社のトレラーバスが、白浜口駅から白浜町に向う途中同町旭丘停留所の手前にさしかゝつたので、竹中運転手は速度を時速一〇粁程度に落して、道路の左寄りに車を寄せつゝ徐行していた折柄車掌のアナウンスによつて下車の準備をした乗客の一人である小田こゆきが、右バスの前部出入口に到り被告松居に下車する旨を告げ切符を渡したので、被告松居はこれを受取つた後バスが、右停留所手前約六六・七米(車体中央を標準にして)富士産業社前を進行する頃バスの左側後方の安全を確めようとして右出入口の扉を約三分の二(〇、五三米)押し開いたところ右こゆきが出入口階段を降りようとしたので「危いから停つてから降りて下さい」と右手で同人の肩の辺を制止したが、こゆきは荷物を所持したまゝなお最下段に降りようとした瞬間、車の前後の動揺のため身体の安定を欠き前にのめつて車外に飛び出し自動車の進行に沿わず舗装道路上に足をつけたため、惰性によつて転倒し頭部を強打し、同日午前一〇時二〇分頃白浜町向井診療所において頭蓋底骨折により死亡したことが認められる。原告等は被告松居が右バスの前部出入口の扉を綱不知停留所から解放したまゝにしていたのでこゆきが車の動揺により車の床から車外に転落したものであると主張し、証人福本栄三郎はその趣旨の証言をしているが、その証言部分は前示証拠に照しにわかに措信し難い、そして他にこれを左右するだけの証拠がない。従つて原告等の右主張はこれを認めることができない。そこで右こゆきの転倒死は自ら飛び降りたことによるものかどうかの点であるが、この点前示の各証言、並びに検証の結果及び証人西末春の証言により明らかなように本件事故現場は右停留所までなお四五米もあり、バスは未だ一〇粁位の速度で進行中であつて男子といえども飛び降りるに危険な状態であつたこと及び右こゆきは年令四六才で分別盛りの女であり性質が温和で物事にどうじなく冷静なものであつたこと等を合せ考えると、血気盛んな男子ならばとも角、こゆきの如き五〇才近い女が下駄ばきでしかも荷物を所持したまゝ飛び降りるが如き危険を敢えてしたものとは解し難い、むしろ検証の結果明らかなように本件自動車の車体が高く、二段階設けられてある乗降口の各階段がいずれも相当高い上足場が狭いため停車中でも車体に手をかけないで乗降する場合不安定感を覚えるのに、前記のような速度で進行する自動車から下駄ばきで荷物を持つたまゝ停車すれば即座に下車する意図の下に、高くして狭い階段を降りたため制動による僅かな動揺で身体の安定を欠いて前にのめつたところ、手に荷物を所持していたので転落から身体をさゝえるすべがなくやむなく車外に転落し飛び降りたような格好で大地に足でさゝえたが、惰性により自動車の進行方向に倒れたものであることを想像するに難くない。右のように被害者こゆきの転落は、被告松居がバスの停車前に乗降口のドアを開けたことと被害者自身が右松居から注意を受けたのにも拘らずバスの進行中に転落の危険のある乗降口階段を降りたことに原因するものであることは明らかである、ところが前者につき被告側はバスが停留所に停車するため徐行を開始しようとしていた故被告松居において乗務車掌の職務上の義務として左後方に自転車通行人等の進行し来らざるや否やを確かめるため、乗降口扉を開けたと主張するのであるが、道路運送法に基く自動車運送事業等運輸規則第三五条に「一般乗合旅客自動車運送事業者一般貸切旅客自動車運送事業者及び特定旅客自動車運送事業者の事業用自動車の車掌は乗務中次に掲げる事項を遵守しなければならない」とし、「発車の合図は旅客の安全及び事業用自動車の左側にその運行の支障がないことを確認しかつ乗降口のとびらを閉じた後行うこと」と「乗降口のとびらは停車前に旅客の乗降のために開けないこと」が規定されている。そのように一般乗合バスの車掌はバスの発車より停車に至るまでは乗降口の扉は閉じていなければならないのである。しかも本件トレラーバスは運転台と客車の二つの車が連結して一台の自動車を形成していて客車内の車掌の合図が言葉では運転手に通じないので、発車停車の合図は後部車掌からブザーによつてなされ、車の側方部面は、運転手は運転台前方のバツクミラーを注視することにより十分観察し得られる(本件こゆきの転落も運転手はいち早く現認して車を停車させたことは証人竹中幸次の証言により明らかである)し、車の直後方部分については後部車掌が認識し得られるが、前部車掌は乗降口扉を開けてのぞき見ても見通すことができないのであるから前部車掌は狭い道路で車が替交するごとき特別の場合を除き進行中扉を開く必要がなく、従つて又開いてはならないものと言わなければならない。このことは成立に争のない甲第五号証及び検証の結果により明らかである。仮りに被告松居が被告側主張のように職務上の義務を果すために扉を開けたものとしても、車の進行中に扉を開放するにおいては乗降口近くの人は車の動揺により転落する虞れのあることは容易に看取できることである。殊に当時被告松居は五〇才近い女の被害者こゆきが未だ車が進行中乗降口階段を降り始めたことを現認して居るのであるから、全般的に乗客の身体の安全を保護せなければならない責任を負う車掌としては自己の身体又は手等によつて乗降口を塞いで乗降できないようにして危険を防止することに万全の注意を払わなければならないのに拘らず被告松居は乗降口の扉を開けたまゝ、ただ単に右こゆきに対し「危いから停つてから降りて下さい」と注意し右手で同人の肩の辺りを制止したのみで右の措置を採らなかつたのであるから右は当該車掌として明らかに職務上の注意義務を怠つたものであつて、被告松居に過失のあることは否定できないところである。即ち本件事故はこゆきが被告松居から注意をされながらこれを無視しことさら車が進行中危険な階段を降りるに至つた不注意と、右被告松居の過失とが競合して発生したものである。よつて被害者こゆきの過失がその損害賠償額につき斟酌されるとしても、被告松居が右過失による責任を免れることができないものといわねばならぬ。

三、被告等は昭和三〇年一一月一八日被告会社が原告側に金七万円の慰藉料を支払つたことによつて本件は解決済であると主張するのであるが、証人小山米次郎の証言並びに原告本人小田和男、同小田兵七の各供述を綜合すると、右小山米次郎は原告側から被告会社との示談につき仲介の斡旋方を依頼され数回交渉を重ねる中被告会社からこれで解決してくれと金七万円を渡されたので、それでは一応原告側の意向を聞くからと告げて右金員を預つて帰り原告側にその旨を伝達したが、原告側はこれを承諾しなかつたので、これを被告会社に返戻したことが認められる従つて右認定に反する被告会社代表者小竹林二の供述はこれを措信しない。そして他に右認定を覆し得るだけの証拠がない。事実が右のとおりとすると訴外小山米次郎には原被告間の示談締結につき原告側代理人としての代理権限がないことは勿論右は未だ示談成立にまで至つていないものと言わなければならない。被告側は小山が金七万円を受領したことは権限踰越の表見代理行為であると主張する凡そ金銭の交付を目的とする示談契約の成立には金額が確定するか少くとも相手方の承諾以外の事実で金額が確定し得る状態にあることが必要であり、金額未定では契約が成立しない。従つて金額の決定権のない示談契約締結の代理権限なるものが存在しない。又その存在しない権限を踰越することもあり得ないのである。右小山が金七万円を受取つたのは、原告等のために被告側の申込を承諾する趣旨で受取つたものではなく、被告会社のため一時保管することを受諾したものに過ぎないのである。以上のように誤つた事実関係を前提として立論する被告等の示談解決済の主張は到底採用の余地がないのでこれを排斥する。

四、次に被告会社は、被告松居の選任監督につき過失がなかつた旨の抗弁について判断する。

証人井田旭の証言によると、被告松居は入社に際し四十日間の教習を受けた外会社では常に一般的事項についての教育や定期的な事故防止の教育を行つているというのであるがこの程度の形式的概括的なことではその選任監督につき過失がなかつたとは言い得ないし、その他にこれを認めるに足る証拠もない。

従つて被告会社はその被用者である被告松居が小田こゆきに対して与えた損害を賠償する責任を免れぬというべきである。

五、よつて次に本件事故によつて生じた損害額について判断する小田こゆきが夫原告兵七所有の田四反二畝畑一反五畝を主として耕作していたこと及びその耕作による収獲物は甘藷、うすいえんどうを若干売却する程度で他は殆んど右こゆき及び当時こゆきと同居していた原告兵七、同佳慧、同浩等の自家用として消費していたものであることは成立に争のない甲第八号証、原告本人小田兵七の供述により認められるところこゆきが右田畑を耕作することにより年間幾何の収益をあげているかの点につき証人前川正一、同西末春、原告小田和男、同兵七等においてそれぞれ供述しているが、その証言或は供述は数量及び価格において区々にして一致しないばかりでなく、原告等の本件請求はこゆきから扶養を受けていた者の扶養を受けられなくなつたことにより生じた損害ではなく、こゆきが生産していた収獲物をこゆきが得られなくなつた損害であるからこれが金銭に換算するについては生産者価格によらなければならないことは言うまでもない。それに右の各証言並びに供述は一部を除き殆んどが消費者価格によつているので、にわかにこれを採用し難く、むしろこれ等よりも鑑定人松本鶴吉の鑑定の結果をもつてその判断の資料とすることが妥当と考える。而して右鑑定の結果によるとこゆきが右田畑よりの一年間の総生産金額は約十六万二千五百四十六円であり、その生産のための経費は農機具費肥料代その他諸費五万四千六百四十三円雇人の賃金一万五千七百円(婦女なるため特殊労務延一三日分五千二百円男子の場合よりも負担増加)を要するから結局差引金九万二千二百三円がこゆきが右田畑を耕作することにより一年間に得る純収益であることは計算上明らかである。なお原告等はこゆきが味噌、醤油の製造及び牛の飼育による収益を損害として請求するのでこの点を考察するに前示各証拠によりこゆきが死亡当時右の製造及び牛を飼育していた事実を肯認するに難くないが、右製造の材料及び牛の飼料の殆んどが右こゆきの収益として計上した前記収獲物を以つてして居り又右の製造及び飼育には相当同居家族の援助によつていた外前示各本人の供述にあるとおり現在原告時男がこゆきに代つて農業に従事しているが、牛を飼育していない事実及びこゆきでなければ牛を飼育できないと言う特別の事情がないところを察すると仮令こゆきが将来生存したとしても果してこれ等をいつ迄続け得たか全く不確実なものである。そのようなものまでも得べかりし利益として請求することは相当でないと思料するのでこれを排斥する。なお前叙の収益中にはこゆきの労働力による収益の外に耕作土地の収益力も包含されて居るのであるが、土地の収益力はこゆき死亡によつて喪失したものと称し難い、殊にこゆきの耕作していた前示田畑は夫である原告兵七の所有物であり、これをこゆきが耕作しそれにより得た収獲物をすべて右兵七及び子の原告佳慧、同浩等の食糧に当てられてきたのであるが、こゆき死亡後は次男の原告時男等において耕作し、その収獲物は従来通り右家族の食糧に供されて居るのである。

よつて少くとも他の利益享受者である原告等においてそれを(土地の収益力)失われたものとして請求することは公平の理念に反することは言うまでもない。そしてその収益力は田畑の賃料に相当するのであるから前示甲第八号証及び右鑑定人の鑑定の結果により明らかな金六千五十五円は右収入から控除せねばならぬ。その他右鑑定に示されるこゆきの生活費五万三千七十四円もこゆきが生存して居れば当然要するものであるからこれを差引いた金三万三千七十四円がこゆき死亡による損害であると言える。そしてこゆきが死亡当時満四六才の女であつたことは訴状添付の同人の戸籍謄本により明らかであるからこれと成立に争のない甲第七号証(第九回生命表)によるとこゆきの余命は二七・五二年であると認められる。即ちこゆきが満七三才まで生存するものと推定し得るところ、前示鑑定人の鑑定の結果によると女が農業に従事する場合五十五才位まではその労働力に変動がないが、五十五才以上六〇才位までは一割前後減退し六〇才以上は二割以上の労働力の低下が急激にくることが認められる。ところが原告等は死亡の年まで農業に従事するものゝように主張するのであるが貧困でその農婦の外に耕作者がなくその者が働かなければ一家の生計が保たれない等特段の事情のない限り中流以上の家庭で他に農耕者として代り得る者がある場合においては六五才を過ぎた老女を重労働である農業に専従さすようなことは普通吾人の見聞しないところである。こゆきが本件事故当時は満四六才の働き盛りであり、健康体であつたから、本来夫がする農業を進んでこれに従事し、夫や子をして他の職業に就かせて一家の生活の向上に努めて来たのであるが、将来は夫が本来の農業に専従することになるであろうし、なお現在高等学校或は中学に進学中の原告佳慧、同浩が数年を出てない中に学校を終え農業を為し得るのであるから生活に窮していない原告等としては、六五才以後のこゆきをして農繁期に軽い仕事の手伝か或は子守程度のことはとも角、田畑六段の耕作を同人のみに強いることは決してしないであろうものと察せられる。若しそうだとすると右軽仕事の手伝位では自己の生活費も補われない程度の収益と観るのが相当である。従つてこゆきの働きによる損害は少くとも六五才までとみるべきである。そうするとこゆきが前示甲第八号証及び鑑定の結果に徴すると死亡後九年と六九日間は一ケ年三万三千七十四円、その後五年間は一ケ年二万九千七百六十六円六十銭、更にその後五年間は一ケ年二万六千四百五十九円二十銭の各割合による合計五十八万五千四十七円の得べかりし利益を失つたのであるが、同人にも過失がありその程度も相当であるからこれが損害額につき斟酌せねばならないことは前叙のとおりである。

よつて今一時に全額の支払を命ずるにつきホフマン式計算法により一年毎に年五分の割合による中間利息を控除して算出した金額から右こゆきの過失を斟酌して同人の本件事故によつて生じた損害賠償額は金二十四万円を以つて相当であると認められる。そして原告兵七はこゆきの夫、その余の原告六名がその子であることは当事者間に争のないところであるから原告兵七はその三分の一に当る八万円、その余の原告六名は各その三分の二の六分の一に当る二万六千六百六十六円の損害賠償請求権を相続により承継したものと言うべきである。

六、なお前示原告本人小田兵七、同和男等の供述によると本件事故当時こゆきは原告兵七、同佳慧、同浩等一家の主婦としてその生活に相当重要な役割を果していたことが認められ、こゆきの急死にあつて一家の愛情の柱ともなる者を喪い又突然農業専従者を欠くに至つて一家の計画に支障を来たしたことにより精神上受けた苦痛は甚大なものがあつたことは明らかである。しかしこの点についても前示こゆきの過失を斟酌するのは相当であるから、これに右原告等の供述並びに原告等弁論の趣旨により認められる原告等の財産収入その他社会的地位被告会社の営業状態等諸般の事情を考慮し原告兵七の受けた精神上の苦痛に対する慰藉料は五万円、その余の原告の受けた精神上の苦痛に対する慰藉料は各二万円を相当と認める。

七、そうすると被告等は各自原告兵七に対し合計十三万円その余の原告六名に対し各合計四万六千六百六十六円及び右各金員に対する本件訴状が被告等に送達せられた日の翌日であることが記録上明らかな昭和三一年六月一七日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合の遅延損害金の支払義務があるものといわねばならぬ。よつて原告等の本訴各請求はその限度において正当であるのでこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十二条第九十三条第一項を仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 依田六郎 久米川正和 萩原寿雄)

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